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池上 郁弥

多摩ニュータウン。

その造成は、永山団地と諏訪団地から始まった。

多摩丘陵に広がる、団地の海。

そこは優しく穏やかな、緑とグレーの海。

目次

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【住所】多摩市永山3・4丁目ほか

【交通】京王/小田急永山駅より徒歩約20分・バス約10分

​【戸数】3,209戸

【間取】1DK~4DK/30㎡~70㎡

新宿から小田急もしくは京王に乗って約30分。車窓はビル街のグレー色からグラデーションのように緑色にかわり、風景が丸くなる。

「多摩ニュータウン 永山団地」

京王・小田急の永山駅を出て南側、グリナード永山とベルブ永山を抜けると、永山2丁目の高層棟が姿を現す。そこから尾根幹線までの広大な2・3・4丁目に、永山団地は存在する。​ニュータウン特有の高層ポイント棟や高層メゾネット棟、一面に続く中層棟など、多くの魅力を持っている。

団地概要

団地概要

UR Tama NerTown

Nagayama

団地巡り

団地巡り

赤土のまちから、緑のまちへ。

永山団地は、諏訪団地と共に多摩ニュータウンで最も早期から計画されていた団地であり、日本住宅公団(現在のUR都市機構)が買収を進めていた「聖蹟桜ヶ丘地区」を多摩ニュータウン計画に編入させ建設、1971年(昭和46年)3月26日に第一次入居が開始された。

第一次入居当初は京王・小田急の永山駅の開通前であり、都心で勤める入居者はバスで聖蹟桜ヶ丘駅まで出る必要があった。また、当時は道路が未舗装の箇所も多く、団地は赤土が舞っていることも多かったという。そんな永山団地は、永山駅開通や道路網の整備、緑地の整備などを重ね、過ごしやすい素晴らしい団地へと進化を続けている。

 

そんな永山団地を、見ていこう。

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見どころ

圧巻の団地群と、高層ポイント棟。

永山団地の特徴は、海のように広がる圧倒的な数の低層棟(4丁目)と、バランスよく配置された高層ポイント棟(3・4丁目)である。これらは、多摩ニュータウンが「少しでも早く安く、計画的な良好な都市を大規模に提供する」計画の時代のもので、画一的意匠の棟とランドマーク的存在の高層ポイント棟がバランスよく並ぶ姿は圧巻である。

​その他各地区のレポートは、下記をご一読いただきたい。

永山2・3丁目

3丁目地区の街並み。

3丁目地区。低層棟と高層棟。

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​くの字型の低層棟。

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3丁目地区の案内板。

高層棟と、カラフルな中層棟。

京王・小田急永山駅を降りて南側、グリナード永山とベルブ永山を越えると、永山北公園の南側に団地が広がる。永山2丁目にあるのは昭和50年代に建設された賃貸棟で、永山駅から永山団地へ向かう際のランドマーク的な存在となっている。

その先の永山3丁目は羊羹型の階段アクセスの中層棟と高層ポイント棟がバランスよく配置されている。3丁目の一部は公団分譲棟、その他は賃貸棟である。

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永山4丁目

高層ポイント棟。

永山団地名店街と一体になっている、4-2-1号棟。

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4丁目地区。壮観。

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一部はEVの設置が進む。

一面に広がる中層棟の海と、ランドマークの高層棟。

広大な場所に効率よく、景観よく配棟された住棟。空の青色と、団地を縫うように育つ緑、そして住棟の灰色。それぞれがそれぞれの色をして、美しく並んでいる。特に間にバランスよく並ぶ高層ポイント棟は、永山第6公園から永山さくら通りを渡る橋で見渡すと綺麗に見えるように、意図的に配棟されている。

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UR Tama NerTown

Nagayama

作品撮り

作品撮り
「血と麦と我と共する団地あれ」
「あゝ愛しき我が君よ」
「あゝ愛しき我が君よ」

「血と麦と我と供する団地あれ」

街には様々な人がいる。子育て世代、御老人、20代の若者。様々な住民が、日々喜怒哀楽の中で過ごしている。

内側に人々の暖かさを内包しながら、無表情に立ち並ぶコンクリート造の団地の数々。間にはその無表情さを補うように、潤沢な緑に覆われている。

 

今日も、暖かい人々を優しく包み込み、人々の気配がする。その気配の糸を手繰り寄せながら、団地の無機質さと人間の体温のコントラストをテーマに撮影を重ねる。

アーカイブス

団地には様々な人が暮らす。その一人一人が、この永山団地で様々な人生を歩んでいる。

永山団地は、諏訪団地とともに多摩ニュータウンで最初に入居が始まった地区であり、長い年月経過した分、住人の熟成もすすむ。

多摩ニュータウンは時代背景により、開発時期で街づくりのコンセプトが異なっている。

首都圏の住宅不足がまだ解消されていない昭和40年代に作られた諏訪・永山・愛宕団地が「画一的な住居を大量に素早く供給しよう」という方針であったのに対し、その後開発された豊ヶ丘や堀之内、南大沢は「量(戸数)より質の高いものを供給しよう」へと方針転換した。これは後者の開発時期には首都圏の住宅不足が概ね解決され、戸数がそれほど必要なくなったことによるものだ。

 

現在、URは永山団地の今後について「ストック活用」の方針を示している。これは、団地の建て替えではなく、既存の建物の流用をメインとして活性化を図るもの。

街を歩くと、若い住人が多く歩く姿も見受けられ、今後の発展が期待される。

まとめ

まとめ

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