(ひばりが丘パークヒルズ)

マンモス団地の先駆けで。

"マンモス団地"

という言葉を聞く機会、ないだろうか。

その言葉の先駆けとなった団地が東京都西東京市から東久留米市にかけて広がっている。

 

「ひばりが丘団地」

マンモス団地の老朽化、そして団地再生....

​日本に数多くある「マンモス団地」その最先端として、いまも「まちづくり」の先端を担っている。

ひばりヶ丘団地について

西東京市ひばりが丘3-5、東久留米市ひばりが丘団地6

【総戸数】

→1,504 戸

【管理開始年度】

→昭和34年

【住戸型式】

→1K~4LDK(メゾネット)/40㎡~106㎡

【交通アクセス】

→西武池袋線「ひばりヶ丘」駅 徒歩15分またはバス4分 徒歩2分
西武新宿線「田無」駅バス13分 徒歩2分

西東京市」・東久留米市に跨る中島航空金属田無製造所跡地にて、昭和34年に造成された「ひばりヶ丘団地」。

当時の日本住宅公団最大級の団地で、所謂「マンモス団地」の先駆けとなった団地である。

現在は住棟の老朽化おため、、「ひばりが丘パークヒルズ」へと建て替えが行われている。また、建て替え地区内の一部住棟は、53号棟が改修・保存されたり、「ひばりが丘パークヒルズ管理サービス事務所」として利用様々な実験に用いられておりと実験的に用いられている部分もある。

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HIBARIGAOKA

作品撮

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HIBARIGAOKA

団地巡り

「THE マンモス団地、そしてこれから。」

武蔵野平野。

高度経済成長期前より住宅地として発展を遂げていました。そんな武蔵野の中央部、西東京市から東久留米市にかけて広がる、ひばりが丘団地。

2,714戸もの戸数は、マンモス団地の先駆けとされた。

1960年(昭和35年)の皇太子・皇太子妃を始め、要人がこぞって視察へ訪れる、エポックメイキングな団地であった。

現在は住棟の老朽化のため、「ひばりが丘パークヒルズ」へと建て替えが行われている。また、建て替え地区内の一部の古い住棟は様々な実験に用いられており、2008年(平成20年)には1列に4階立ちの住棟を3階建てに減築する実験が行われた。

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団地近影

他の団地は下記より、ぜひ。